第239回「多様性とは何か」
第239回 探究型ワークショップ実施!
今回は『多様性とは何か』というテーマで探究していきました。
今回のテーマについて
当日ファシリテーターを務めさせていただいた木原です。
今回は「多様性」をテーマに実施いたしました。
初参加の方、前回に続いて2回目参加の方、久々にご参加か下さった方、今回は普段よりも多くの方にご参加いただき、有難い限りです。
「多様性」は様々な所で議論されるホットなテーマで、皆様結構関心を持たれていることかなと思いますので、いつになく事前のリサーチと勉強を入念に行い準備を行いました。
私自身、今までは何となく漠然と
「多様性」
「ダイバーシティ」
というワードは知っていましたが、それがどういう経緯がって、どのような議論がなされているのか、はあまり知りませんでした。
アメリカでダイバーシティが叫ばれるようになった経緯や、そもそもの定義、根底にある考え方に触れてみて思ったのは、
「多様性って、無条件で成り立つじゃん」
という事です。
なぜなら人は皆異なる存在だからです。
(ただ、特定の人が不利益を被ってしまわないようにという配慮は必要ですし、ビジネスシーンで着目されうるポイントはあるとは思います。)
「多様性」の意味は、
異なる要素が共存している状態
なので、人が2人いれば「多様ではない」状態はあり得ないな、と思った次第です。
今回の探究で、裏テーマという訳ではないですが、ポイントとして考えていたことは、
「結局の所、この社会の何が問題で、どんな社会を作っていきたいのか」
「多様か、多様じゃないか、といった視点に捕らわれずに、自由に本質的に考えてみたら面白いのではないか」
という事です。
今回のグループトークでも意見として出てきましたが、「多様性」というワードに固執して考えているうちは、起きている問題の本質的な言解決にはつながらないのではないかな、と個人的には考えています。そして世の中には、似たような構造をしている課題が沢山あると思います。
本質的に考える
「で、結局どうしたいの?」
的なシリーズは、また実施できればなと思います。
グループトーク
参加者の意見・やりとり
直接民主主義的な複雑なシステム(投票ではない)が実現すれば最大多数の施作を理論的には選び取れるのでは?と思ったり。
どうなんでしょう。
選び取る、とは可能かと思います。(クアドラティックボーティングなど、関連する投票システムなども沢山ありますよね!
ただ、自分が少数派側だったらどうか?は気になるところですよね
台湾のシステムから「幸福」を評価できると良さそうな?
念頭にあったのはシビュラシステムなのですが、もはや多様性もクソもなさそうな社会な感じもします
潜在犯を取り締まっている時点で多様性でもなんでもないか
シビュラは作中でも語られていますが、幸せだけど、人間的じゃない、、、
なんてでてますよね
そうなんですよね!>潜在犯
しかもシビュラの根幹が「免罪体質」のブロックでてきているという矛盾
(人間じゃない判定基準で理想の社会なのかな。。。的な
でも、実際のところ犯罪発生率はさがりそうです
多様性が議論されない社会
すべての生きものには違いがあります。
様々な生きものが、異なる環境で自分たちの生きる場所を見つけ、互いに違いを活かしながら、つながり調和していることを「生物多様性」といいます。
「生物多様性」にはたくさんの種類の生きものがいるだけではなく、様々な環境があること、そして同じ種類の生きものの中でも様々な遺伝子があることの3つのレベルの多様性があるとしています。
個々人が自分らしく生きやすい社会
差別する側は無意識にやっていることがあるから、周りが言わないといけない
多様性の優位性についてはコスト面でのメリットを言うのが説得力がるのは仕方ないですが、それだけだと違和感をもちます
個々人が生き生きと生きていけることが目標だといいのですが
各自の個性に合った選択肢をみつけられるネットワークがあるといいですね。
差別については理性でおさえても刷り込まれているものあります。ふとしたときに出ます。だから自戒します。無意識の差別は指摘されて初めて気づきます。
知識として知っていることと、体得していることは全然違う
相手に変わってもらうにはどうすれば良いか、考える
【多様性と社会の仕組みとか?】
”空気の話をするのは、そこに空気がないからだ”
さて、空気とは何だ?
↓
どうでもよくないです?
>何故多様性が必要といわれるか?
何か問題があり、それを解決するお題目だから。
↓
例:
強くするため…というより”(たぶん長期的には)損だから”
自分もそうだから/そうなったら(割りを食うのは)いやだから
反乱の歴史をみてきたから(そして反乱にリソースを使うのは損だから)
などなど…
(カウンターサイドがやっていることは権力の奪取行動が多いのでは?)
>どんな考え方や視座が必要か?
そもそも偏見とは個性だ
(だって偏見がなければ個性は消え、世界は閉じやすくなる)
&
でも問題は解決だ。
だから、偏見はある前提で問題解決に注力すべし。
*平等という偏見からオサラバするのが楽ではある。
(これを説いている人の本当の意図は…?)
↓
なので…
↓
”完全実力”での判定手段
(むりそうだが今よりは改善できそう/ルールの透明化など)
問題分野のサンドボックス・アファーマティブアクション展開(もしくは提案可能な制度)
”既存権力者”へもセーフティーネット(もちろん割りくっている人へのケアも)
+
楽しないこと
>おまけ:そもそも偏見(個性)はなんであるのか?
2重システム理論+経験値
↓
楽をするから問題が生まれる(そうじゃなくても生まれるのに)
>おまけ:アマゾンの採用サポートAI(現在は中止)
(だって男性データなんだもん)この社会を壊すべきか?
>おまけ2:先の自己紹介トーク
お三方とも自分の欠点や指摘の話をしていた。
(これは結局痛い所をつかないこと、十分な説明がなされないことが問題かもしれない?)
>おまけ3:個人的には…
ゲーマーはテーブルにちゃんと座るものを歓迎する。
それだけで(だいたい)いい感じ。
メタバースが進むと違ってくるんでしょうね。メタバース婚活プロジェクトやってる人がいました
多様性とは
さまざまな社会、民族的背景、異なる性別、性的指向など、それぞれの人々が持つ多種多様なバックグラウンドのこと
表層的な多様性
表層的ダイバーシティとは「人種」「国籍」「宗教」「性別」「年齢」など、基本的な属性や外見などに関する多様性
深層的な多様性
深層的ダイバーシティとは個人の「考え方」「意識」「経験」「スキル」「価値観」「文化的背景」
真に実現すべき社会や仕組みとは何か
「誰一人取り残さない」仕組みを目指すとした場合
→合わせるべきはお金をたくさん稼ぐ人か、もしくは貧乏な人にか
正直、上の問題は現実では到底解決できないほどの問題だと思う
→なぜなら、「人と関わる以上すべてに発生するから」
極端な話、だれともかかわらない世界ならば、上のようなことは発生しない。
なので、一人という存在のまま閉じ込めるorVRなど別世界に住む
*多分世間一般的な回答は以下のようなことだと思う
(これも回答の一つ)
・誰もが受け入れられ、活躍の機会が公平に与えられる社会。人種、性別、年齢、障害の有無、宗教、経済状況などに関わらず、一人ひとりの個性と能力が尊重される。
・公平性・機会の平等→出自に捉われず、努力と能力により誰もが成功を手にできる仕組みが整備されている。教育、雇用、昇進など、あらゆる場面で公平な機会が提供される。
<自分の意見>
*多様性≒平等になっている気がするなーと思ったりしている
・目指すところはもっと違うところなんじゃ無いかな(言語化が難しい)
*どちらかというと今の概念の多様性は否定派
・なんか「受け入れてください」って言われても急にやれと言われましても難しいなぁとも思っている。
・人間みんな違う(個性がある)からそもそもその時点で「多様性」云々の問題って解決しているのでは?
・なんか価値観を押し付けられているように感じているので自分はちょっと嫌だなー、、、。
・関わらないといけない時だけ関わって、それ以外では無干渉っていう考え方じゃダメなんすかね?
*まあ器が大きい人間の方が生きていく上ではリスペクトされるのは間違いないので、自己肯定感上げたい人は「多様性」をアピールしていけばいいんじゃないすか(他人事)
企画者の意見
●実現すべき社会
皆が気持ちよく活動できる社会
今回、探究を作るために色々調べたり勉強してみて学んだこと。
●多様性の定義って意外と幅広い
というよりも、人が二人以上いれば、その時点でダイバーシティ。
なぜなら、人を構成する要素は無限にあって、全て同じという人はいないから。
※まあその中で、ビジネスシーンで良く注目される要素があるということなのかもしれないが、、
(少し話がそれてしまうかもしれないが)
●差別は、そもそもしてしまうもの
自分と違うやつは怖いし
人より下位に立つと死んでしまうかもしれない。
人間なのだから、怖いものは仕方がない。
だから、
・自分たちは差別していない、と思うべきではないし
・差別を「してはいけない」と考えるべきではない
※鼻がかゆいとくしゃみをする
⇒くしゃみをしてはいけないのではなく、くしゃみはしてしまう前提で解決策を考えた方が良い。
違いに注目するから、無限鼬ごっこ。
互いに共通する部分、自分と同じ存在なんだという前提で節すれば、あまり問題はおこらないのではなかろうか。
ベンサムの最大幸福的な…?
(最大多数の最大幸福がいいんじゃね?という考えですね)
主観的なダイバーシティ
過去の自分と未来の自分は違う
ダイバーシティ問題は自己責任に落ち着きがちだけど、それはゆるされるべきじゃないか?
ご参加くださった皆様、ありがとうございました!
またやりましょう!
引き続き、楽しくて学びになる探究を実施してまいりますので、お楽しみに!