第124回「ゲーム条例」
第124回 探究型ワークショップ実施!
今回のテーマは「ゲーム条例」です。
【本日の問い】
「ゲーム条例」は、アリ?ナシ?
(もし余力があれば)
もしあなたが県知事なら、ゲーム依存の問題に対してどう対処する?
【グループトーク】
~インプットセッション~
>>ゲーム依存!?(作意を感じるぜ…!
>>1日0分≒1時間
>>現在平行線なのですよね>裁判
>>0分!?
>>偏向報道のため○時間から○分に変えましたw
>>44分は四捨五入すると0分、、、という理屈を使ってました(私の学生時代)
>>親”ですら”、半分がゲームOK主張なのですよね
(時代は変わったぜ…!
>>なるほど~
>>親もゲームしたいんじゃないの?
↑そうそう、
>>親も、はありますね
>>親がゲーム世代になったことが大きいとの話、でているのですよね。
>>自分たち世代ですかね(笑)
*でも実際、ゲームした人が親になっているので、「問題ない」は意外と根拠あるよなあ…
>>幸福追求権は”なんでもよい”わけじゃないのですよね。
(ドラックとかは幸福じゃないじゃん設定)
>>ゲームしたらろくな大人にならないという論拠なら自虐的な主張ですよね
>>ゲームやめたからと言って外遊びに行くとは限らないし早寝できるとは限らないし勉強するとは限らない
>>そうそうw↑
>>何かを禁止、と、それが幸福になる、は必ずしもつながらない説…
>>この条例は守らなくても罰則がないことは結構重要なポイントかと思われます。
↑うんうん、そうですよね。
>>条例(法律ではない努力義務的な)なのがポイントなのですよね。
>>罰金刑かどうか結構そこきもなんですよね
>>ソフトクリーム!?
>>やべぇ…雪合戦w
>>銃弾より強力な雪玉作ってくるかも
>>アメリカの法律や条例は色々とかなりおかしい
>>”民主主義”はなあ…!?
>アメリカネタ
~グループトーク本編~
「ゲーム条例」アリ?ナシ?
政府はデジタル社会の実現を推進している。
E-spoertの推進もある。
ゲーム条例は2020年4月に施行、県教委は同年9月から10月にかけて、小学4年から高校3年の4881人を対象にスマホやタブレット、ネット接続可能なゲーム機などの利用に関する調査を行った。
その結果、1日当たりの利用時間が「3~5時間」という回答が3年前の前回調査と比べて小中高生でいずれも減少、「1~3時間」が増加した。
依存傾向を問う8項目の設問では、「注意が必要」とされる5項目以上が当てはまった中学生が前回の3.4%から6.3%に、高校生が2.9%から4.6%にそれぞれ増加した。
利用時間は減ったが、依存傾向は強まったとも読める結果だが、ゲームやネット依存に詳しい成城墨岡クリニックの墨岡孝院長は、「調査は子供たちを対象に行っているが、そもそもゲームやネットの依存は本人が気付かないところに危険性があり、正確なものなのか疑問がある。またデジタル機器との付き合い方は幼少期の環境が重要で、条例があるからといって子供たちが利用時間を減らすとも思えない」と指摘する。
知事として考えるべきこと
安冨歩さんの『生きるための論語』を読んでいていると
ろくに論語を理解できていなかったな,
と気付きの連続です。
そのなかでもとくに「中庸」の捉え方は印象に残りました。
「庸」は常にという意味なのだそうです。
『生きるための論語』p. 86には
「絶えず事態の変化に対応して,常に過不足なく適切妥当な措置を取り続けること」
と書かれています。
こちらの捉え方のほうは今の私には自然なことのように感じました。
この定義からいくと,バランスが取れているかどうかは焦点ではないですね。
その場その場で適切だと思えばバランスを欠くこともありうることになります。
バランスというのも定義があいまいですし,バランスが取れている=良いこと
と思われがちですが,これも固定観念の一つですね。
こう言っては語弊があるかもしれませんが、大規模な社会実験として一地域がやってみて掲示変化を追ってみるというのもいいかもしれません。
>>中庸=ほどほどではない
>>まさに、ですね。
>>スマホのゲームはそもそも5時間は遊ばない
(ただし、課金はする(むしろこっちが問題))
>>スタミナシステムありますし
>>ゲームしたことない人たちが決めている?
>>表面しか見れてないなーってのは思いますね アンケート時間についてしか聞いてこない とにかくワンパターン
>>当事者に話聞いたらいい
(聞いている人の意見を取り入れたらいい)
>>県知事に魔界村やらせよう
>>魔界村w
>>外科医はゲームしている人の方が手術美味い
>>魔界村、クリアできなさすぎて知事が仕事しなくなるな
>>魔界村は確かに難しい
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条例だったらいらない
強制力がないなら普通に続けるだろうし
目に見えないお偉いさんが子供たちに言ったところで響かない
両親に1日○時間までしかできないようにっていう設定を最初から
つけてもらうのが最善 なぜなら最初からそうであれば子供は
それを当たり前だと認識し制限が設けられていることに疑いを感じないでしょう
もしそれに疑いを感じてもっとこれやりたいと熱中しているなら
少し制限を緩くしてあげればいい
>>なるほど。「強制力のない」条例を何故制定するのか、、ですね。
>>親と子供で、対話すればいい。
>>禁止されたらやりたくなる
>>(見えないと、むしろ掻き立てられる(パン〇ラ理論))
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なし
インターネットやゲームにおける有用性を考えていない点が問題である。
ゲームやネットが悪いものという偏見が入っている。
ゲーム依存の問題への対処の仕方
ゲームなどができる時間を縛るのではなく、子供たちの意見を聞いてみる。→子ども議会の設立
子どもに対してのルールを子どもたちに考えてもらう。
ゲームで縛る例
https://news.yahoo.co.jp/articles/658d8159b5302d9097d51901da6792b1e7306562
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>>自分たちのルールは自分たちで、ということですな
>>システムで縛る
>>デブが食べ過ぎてしまうのは、どうなのでしょうか、、
>>みんなクソゲークソゲー言いながらゲームやってる
(やり続けてる)
>>このソーダは美味すぎる 訴訟
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【ゲーム条例はアリ?ナシ?】
>小結論
アリ!(とあえて言ってみる)
ちゃんとエビデンス(ファクトではない)があれば。
一時間に根拠があれば。
効果改善をばばん!を出せばいい。
彼らが推奨するモノをゲームくらいに面白くできるなら。
*ウチじゃないし…w
>ネタ
‐GAM(一般攻撃性モデル)→傾向は…まあ、あるかなあ…
(でもこれはヒーロー映画とかでも類似傾向)
→依存とは(直接)関係ない
→他のメディア(漫画、映画、TVなど)とくらべてどうか?
(海外の漫画条例成立の過程)
‐ゲームに関連する(と言われる)問題はどうか?
→一次感情、二次感情(ロバートブルチック)の話
→それは本当に主原因か?禁止によって問題が解決するか?
‐ゲーム障害はあるのか?
→推定無罪の話
‐課金システムはどうか?
→それはめっちゃある。これはイカン!(確かにね)
→親はクレジットカードを渡すべきじゃない。
→アジアの誕生日に欲しいモノ(ネットゲーのガチャチケット)
‐条例成立の過程
→偏ってなければOK(だけど…)
→嫌なら投票すべき。
‐これで誰が得をするか?
ゲームを理解したくない人。
コンテンツを楽しくできない人。
*ゲームみたいに楽しく、習慣化できる”学び”をつくるべきじゃない?
>>韓国でも規制している
>>旧儒教国ー科挙
>>時間制限しても、やる人はやる
>>制限されるからやるんだよ
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ゲーム依存問題への対処
「公共の福祉」は「社会秩序」ではない
本来は基本的人権を制約できるのは「他者の人権のみ」
→個人への直接介入であるため、慎重な考量が必要であり、このような介入は、
「成熟した判断を欠く行動の結果、長期的に見て未成年者自身の目的達成能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込みのある場合」
に限って正当化されるとされています(=「限定されたパターナリスティックな制約」。)
ゲームをやりすぎると「未成年者自身の目的達成能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込み」はあるのか?
→「あるかもしれない」ぐらいかな。。。
他にも中毒性があるものは多い
(TV、YOUTUBE、SNS、砂糖、チョコレート等々)ですし。。。他はいいの?
ただ、罰則はない
ほとんど倫理的な意味しかない
だからほっとけばいいように思うが、公権力を調子に乗らせるのはよくない
一番の問題は「現実世界がゲームほど面白くないこと」かもしれない。。。
>>どこに行ってもいいけど、他人の家に勝手に入ってはダメ(他人の人権)なのですなー!
>>罰則があるかないかでも、判断は大きく変わるのですね
>>任意の範囲を広げていってしまうと…
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ゲーム条例、ありかなしか。
なし。
視点を変える。
例)「受動喫煙防止法」
煙草を吸ってはいけない法律、
ではなくて
受動喫煙に配慮しないといけない法律
煙草そのものは健康に害があることは証明済み
※煙草の箱にも記載がある
でも、吸うのは自由
しかし、他者に害を与えるのはダメ
という感じ。
ゲームそのもののやり過ぎに問題があることは、根拠示されている。
・ゲーム依存症は、疾病扱い
・スマホ、ゲームの時間が小中学生の学力調査によって成績に関係していることも示されている
※昔、塾で掲示物つくって、ある程度マネジメントしないといけないよ、という話題にはしていた
でも、ゲームすること自体は自由、
家庭でどんなルール作ろうと自由、
eスポーツの観点からも一所懸命やることもあって良い
しかし、親が、子どもの学力低下を放置したり、
生活や社会性が崩壊することを放置したりすることは、あってはダメ
とし、
親に対する責任意識を高め、
かつ明確な支援機関やサポート方法を提示する。
※親だけで解決しなさいとはしない
ゲームによる弊害は明確にする、
親の家庭における責任を明確にする、
親だけで解決できないのが子どもの教育なのだから社会や地域がどんなふうに支援するのか明確にする、
よって、
問題が発生したとき、
対処しない親はダメですよ、とし、
対処の一例として、
過程でルールを作るなどのドメスティックなものから、こういう期間に適切に指導を仰ぐという行動まで、
分かり易くしておく。
>>規制は(ケアしないで効果を期待する)手抜きなのかもですね…
*親御さんで話せばいいのに…
>>少しずれるかもだけどeスポーツ選手なりたいなら運動必要やでってのは言ってもらわないとなー
↑ほんとそれ。
>>体力づくり 生活リズム 癒しはゲームの基本って偉い人が
>>炎上商法的な(笑)
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【ゲーム条例はアリか?ナシか?】
※ファシリとして、色々調べながらこの探究を作った立場から
☆アリの視点
〇元々は、「なんやその条例…」と思っていた
〇が、原文を見てみると、それは数ある条項のうちの1つでしかないことに気づいた
〇またゲーム依存の定義も知って、なるほどと思った。
〇まず、ゲーム依存に対処できるようにしていこうぜというコンセプトは良いと思う
※「ゲーム依存」=「ゲームをする人」ではなく「やりすぎて生活に支障をきたしている人」だというのがポイント
〇またゲーム依存に対して。県、学校、周りの大人の行動指針を県が示すのは、(この先アプデされていく前提で)第一歩になると思う
⇒色々例外もあるかもしれないが、県が示すということは、それに沿って行動する人が出てくるということ
(SDGsと同じ)
〇また制限時間は「目安」であり、「これをもとに各家庭で話し合ってね」というものだというのは調べてみて初めて知った
(目安の根拠については色々とツッコミどころはあるが、、)
なので、一応問題はないんじゃないかと思う
〇ゲーム時間に対して人権を持ち出すのは、表現の自由だと言って道端で脱ぎ始めるのと同じかなと思う
(明らかに人格的生活に支障をきたすようであれば、当然何とかしなきゃいけないだろう)
ただし、出し方・プロセスについては、とにかく柔軟にであるべきだと思う。
(ここが行政の仕組み上可能なのかどうか分からんが、、)
また、この条例も完ぺきではないから、アプデしていかなあかん。
最後に、、
「1次情報に当たることの重要性」を今回はものすごく実感しました。
(原文みないと、分からないこと多いですね)
☆ナシの視点
〇先ほどは柔軟にアプデと言ったが、ルールがころころ変わることに社会は現状ついていけないのではないかと思う
(コロナの緊急事態宣言のように、妥当性の見えにくい発表を繰り返せば、誰にも見向きもされなくなってしまう)
〇やはり気になるのは時間の根拠
・全くゲームしない人よりも1時間だけする人の方が学力高いというデータもあるし、、
・ゲーム依存になる理由が1時間以上ゲームをすることとは思えないので、、そのあたりの根拠があった方が良いと思う
〇誰が作ったか
・議員さんの年齢調べる時間はなかったが、、
⇒意思決定の機関には多様な人たちが関わるべきと思う(例えばおじいちゃんばかりではなく)
⇒議員の選び方を変えても良いか。。
【ファシリテーターより】
今回もご参加いただきありがとうございました。
ファシリテーターの木原です。
香川県のゲーム条例に関する裁判の話は一度扱ってみたいと思っていたテーマでした。
探究として実施するまでに少々時間がかかってしまいましたが、
9月に次の裁判があり、恐らく関心を持っている人も少なくない出来事でしょうから、このタイミングで一度扱ってみることにしました。
今回はファシリとして準備するにあたって条例の「原文」に目を通しました。
元々はニュースで流れてきた内容を見て、「お、なんか面白そうな出来事だな」となんとなく思っていましたが、
実際に原文に触れてみる(内容を正しく知る)と、また違った印象を受けるものです。
「一次情報」に触れることの重要性を実感しました。
さて、巷で話題になっている時間制限については賛否両論あるなと思いますが、
(あくまで個人の見解ですが)個人的には、子供のゲーム・スマホ・ネットの使用については単純に各家庭で話し合えば良いのだと思っています。
グループトークでも出てきましたが、無暗に「規制」をすることはただの思考停止ともいえるのかもしれません。
また「この条例を作った人はゲームのことをよく知らないんじゃないか」という意見もとても興味深く、
「本当に問題なのはゲームの時間よりも、例えば子供が気軽に課金しまくってしまえること」ta
だという話は、とても大事な視点だと思いました。
本当に問題なのはどの部分なのか、冷静に考えていきたいものです。
この探究をきっかけに、9月以降に行われる裁判の続きにも注目していければと思います。
ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
またやりましょう!
本イベントにご興味を持ってくださった方、是非一度ご参加いただけたら嬉しいです!
(中高生から大人まで、幅広い年代の方のご参加を歓迎しております!)
次回は第125回「もしも過去に行けたら(時間移動ができたら)」を予定しております。
今後も楽しくて学びになる探究の場を実施していきますので、お楽しみに!