第243回「時間は存在しない?」

第243回 探究型ワークショップ実施!
今回は『時間は存在しない?』というテーマで探究していきました。

今回のテーマについて

当日ファシリテーターを務めさせていただいた木原です。

今回は久々に哲学&物理学(理系)のテーマを実施してみました。
自分が日常の中でふと出会って面白いなと思ったのと、理系のテーマは最近あまりやっていなかったなと思ったので、テーマとして扱うことにしました。

今回の題材は
イタリアの理論物理学者カルロ・ロヴェッリ氏の著作
「時間は存在しない」
からの引用です。具体的には
「ループ量子重力理論」
と呼ばれる話となります。

我々の日常生活と時間は切っても切り離せないものです。
日常のあらゆるものが時間管理されていると言っていても過言ではないでしょう。
以前MWCでも
「もしも時計がなかったら」
という問いかけで探究をしたことがありますが、
今回もそれに通ずる内容で、
我々が当然「ある」と信じて疑わない「時間」なるものがもし存在しなかったら?
(今回の理論ではそのように説かれている訳です)
という前提のもと考えてみました。

あまりにも我々の感覚とかけ離れている仮定なので
中々考えにくかったかもしれませんが、
常識を疑うことは探究への第一歩です。

これをきっかけに、明日から
「ちょっとだけ世界の見え方が変わる」
ような体験につながれば面白いなと思います。

今回のテーマについて、
記事内で私の意見も載せているのでぜひご覧いただきたいのですが、
今回の仮定は結構本気であってもおかしくないなと思っております。

私は、もし時間の真実がロヴェッリ氏が言うようなものであれば、
一人ひとりが自分の内外問わず「今」を見るようになるかもしれない
心の内をよくクリアにして、より良い現実を引き寄せるようになるかもしれない
未来とは遠い先の事ではなく、常に今この世界に可能性の1つとして内包されていて
自分たち次第でその現実を顕現させることができるのかもしれない
と考えました。

そして、グループトークにて参加者の皆さんからも、
「人はより賢くなるのではないか」
「今を大事にするようになる」
「感情と向き合うようになる」
といった意見が出てきて、やっぱり意外と間違ってないかもな~と思いました。

一方で、
「メメント・モリ」
というものでしょうか。
例えば余命宣告をされることで生き方が変わる
人生には限りがある
残り時間は刻一刻と少なくなっている
と、時間を意識して生きることで意識や行動が変わっていくという意見を聞き、
確かにそれは間違いないな~
と思いました。

これは時間が存在するという立場に立った意見ですが、
今回のテーマについて考える中で、大変印象に残りました。

 

 

グループトーク

参加者の意見・やりとり

短期的には何も変わらない。
(人間は命限りあるイキモノだから)

何を大切にすべきか?:
貴方が大切にするものを、そして皆と自分の限りある命を大切にすればいい。
(自分の信仰を”正しいもの”の前で変えるべき…か?)”

長期的(完全に制御管理できるようになったら)には既にヒトではない可能性あり、
そうなったら既に我々が想像するイキモノではないだろう。

時間を見ないとどんな世界になるか?
現状なら、それでも約束はちゃんと残る(だって時間は有限だから)
時間と空間が管理できるようになれば、既に人間ではないので人生はなくなるかもしれない。

おまけ:
映画「コンタクト」のようにすべては過去形で語られるようになるかもしれない。

・現在の瞬間、つまり「今」をより深く体験し、大切にすることが重要になるかも。瞬間の体験、感情、人との関わりを大切にする生き方が価値を持ちそう??

・体内時計や自然界のリズム(日の出と日の入り、季節の変化など)により生活することになり、よりリラックスしたり、ストレスが減る可能性がある

・時間の制約から解放されることで、自己反省や内面的な成長により多くの時間を割くことができるようになるかも。

それぞれの相互作用によって成り立っているのだから人同士もその関係性を大事にして生きていけばいいのではないだろうか?

・現在の瞬間、つまり「今」をより深く体験し、大切にすることが重要になるかも。瞬間の体験、感情、人との関わりを大切にする生き方が価値を持ちそう??

・体内時計や自然界のリズム(日の出と日の入り、季節の変化など)により生活することになり、よりリラックスしたり、ストレスが減る可能性がある

・時間の制約から解放されることで、自己反省や内面的な成長により多くの時間を割くことができるようになるかも。

伝統

無知な人間たちを縛らなくなったら人間はより賢くなるのではないか。

それでも、時間は人々に平等にすぎていくと思う。

余命宣告
→この期限のために生きる
という時に、人間は一番しなやかに生きているのではないか
→時間とそれに対する逆算がある

自分の死期を察する能力
→時間の存在がそれを鈍らせているのでは?

時間がなかったら
人間はもっと賢く慣れるのでは?

物理屋「時間は存在しない」
生物屋「いや、時間はある」

どの学問でアプローチするかによっても
考え方は変わっていきそう

物理は単純化、シンプル化、統一していくイメージ

生物学はアプローチがそもそも違う

生命時計
像の時間、ネズミの時間
渡り鳥の季節性、正確性
→彼らの時間の概念はどうなのか?

自分は教育の仕事をしているから、
どうすればこういったこういう議論がどうすれば学生に届くか
と考える

時間は存在しない
ということを物理学の中で議論したとしても、
結局、現実的に我々は時間に縛られ、時間を意識しながら生きているから、時間はあるという話になっていくのではなかろうか。

短期的には何も変わらない。
(人間は命限りあるイキモノだから)

何を大切にすべきか?:
貴方が大切にするものを、そして皆と自分の限りある命を大切にすればいい。
(自分の信仰を”正しいもの”の前で変えるべき…か?)”

長期的(完全に制御管理できるようになったら)には既にヒトではない可能性あり、
そうなったら既に我々が想像するイキモノではないだろう。

時間を見ないとどんな世界になるか?
現状なら、それでも約束はちゃんと残る(だって時間は有限だから)
時間と空間が管理できるようになれば、既に人間ではないので人生はなくなるかもしれない。

おまけ:
映画「コンタクト」のようにすべては過去形で語られるようになるかもしれない。

企画者の意見

●世界観の整理
・場には素粒子が満ちている→ビールの泡
というか、空間はその泡そのものである
(以前理解できなかったモナド理論が、ちょっとわかった気がする、、)
・そして、電光掲示板のイメージ
→複数の状態が重なり合っている(電球の場合はオンorオフ)
・僕らは定まった1つの状態しか認識できないけど、実は世界は他にももっと色々な可能性がある
そして、量子論的には
現実は僕らの観測によって定まっている
だからこの世界がどうなるかは僕らの意識次第
心で思ったことが下根実になるという話もあるが、
最も根源的な所で、これは無視できない重要なことなのではなかろうか。

そのうえで大事にすることは
・自分の心をクリアにする
・(仏教的な)雑念を取り払う
・一切の悲しみや苦しみ、ネガティブなものを取り払う
・そうしたら自分が所属する世界は良いものになっていく

もし時計や時間を見なかったら
現代社会でそれをやったらまず社会不適合になる
けど長期的には深く深く、自分自身や現実を直視できるようになる

「1年でいくら売り上げた」
ではなく
「今自分の心はこんな状態」
「目の前のこの状態」
そんなことに意識を向け、大事にできるようになる

でも、
毎日時間通り電車を走らせてくれている運転士さん達に感謝。

(おまけ)
世界には自分しかいないのではないか
そんなことを考えている
正確には、一人ひとりが限りなく近いパラレルワールドを生きている
近しい人は世界が重なり合って、互いに認識できている

ご参加くださった皆様、ありがとうございました!
またやりましょう!

引き続き、楽しくて学びになる探究を実施してまいりますので、お楽しみに!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


探究

次の記事

第244回「装飾品」