第157回「悪役」
第157回 探究型ワークショップ実施!
テーマは「悪役」です!
本日の問い
人はなぜ、「悪」に魅了されるのか
探究
【人はなぜ悪に魅了されるのか?】
〇ディオ・ブランドー(ジョジョ1部)
??「俺たちができないことを平然とやってのける! そこにしびれる、憧れるゥ」
普通に生きていれば、
周りと折り合いをつけ、
時に妥協しながら“上手く”生きていく
そんな中、自分の芯を崩さず理想に向かって邁進していくカッコよさ
自分たちがやりたくてもできずに我慢していることをやってしまう爽快感
〇ジョジョ5部 黄金の風
そうしてジョルノ・ジョヴァーナは、セリエAのスター選手にあこがれるよりも・・・
「ギャングスタ―」に憧れるようになったのだ!
「一人の人間として対等に接してくれる」
という人として当たり前のことを教えてくれたのは「ギャング」だった。
正義・善人とは表の社会で上手に生きている人なのかもしれない。
裏の社会の人達は、一見すると闇側、悪い存在なのかもしれないが、
それが人として間違えているとは言い切れないのかもしれない。
ちなみに、、ジョジョに出てくるイタリアのマフィアは、「必要悪」という奴だろう。
〇DIO(ジョジョ3部・フリーザ・ラオウ)
・圧倒的に強いから
⇒悪役とは、大抵主人公が敵対する存在
⇒そんな存在が弱くては物語が成立しないので、そもそも悪役は、強い
強くて、美学を持っているキャラは魅力的?
ー--
【本当の「悪」とは何なのか?】
『地球上の誰かがふと思った』
『人間の数が半分になったらいくつの森が焼かれずにすむだろうか……』
『地球上の誰かがふと思った』
『人間の数が100分の1になったらたれ流される毒も100分の1になるのだろうか…』
『誰かがふと思った』
『生物(みんな)の未来を守らねば…』
家畜として多くの生物を殺して食べる人間と
人間一種のみを食べるパラサイト
本当の「悪」とは何なのだろう??
ちなみにこの作品のラスボスである最強のパラサイト「後藤」は、
最後、・・・(ネタバレ伏せます)
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人はなぜ、「悪」に魅了されるのか
1.悪を知ることによって善をより素晴らしく感じることができるから。
例えば、お好み焼きはソース無しでも美味しさを感じることはできるけど
ソースがあることによってより美味しいと思える(例え下手かも)
2.いい人だって何か理不尽なことがきっかけで悪になっていたかもしれない。
相手は自分がもしかしたらなっていた姿かもしれない。
そこで本当に滅ぼすのは正しいのか..?となる。
例:逆だったかもしれねェ(NARUTOより)
3.悪があることによって善が存在しているから。
もし誰もが人にやさしくあたたかかければそれは呼吸のように当たり前のこととなる。
4.芯を持っているという点にあこがれている(持っていないやつもいるけど)
>「俺もそうなっていたかもしれない」
⇒現実世界では「福祉」の話
>悪い奴は賢い
(賢くないと悪くなれない)
悪い奴は我々が使えないカードを持っている
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人はなぜ、「悪」に魅了されるのか
人は完全ではないから「悪」になる?
例
「性悪説」(荀子)について語られている文の、原文、書き下し文、そして訳文とその意味とを順番に記します。
原文:人之性悪、其善者偽也。
書き下し文:人の性は悪なり、その善なるは偽なり
訳文:本来の人間の性質は悪である。それが善になるのは人間の意思で努力することの結果である。
原文の「悪」の意味は、「悪い」という意味ではなく、「弱い存在である」という意味です。
また、「偽」という字の意味は「偽り」ではなく、「人の為す」結果、という意味です。
つまり、弱い存在で生まれつく人間は、自分の意思で学問を修め、努力することによって後天的に善を獲得できるということを説いています。
蓬も麻中に生ずれば、たすけざるも直し
訳文:よもぎは曲がりくねって生育するが、まっすぐの麻の中で育つと自然にまっすぐになる。人の育ちもそれと同様に環境次第である。
つまだちて望むは、高きに登るのひろく見るにしかざるなり
訳文:遠くを見ようとつま先立ちをするが、高いところに立つほうが眺望がよい。学びが高まったとき、はじめてその視野が開けるのである。
居るには必ず郷をえらび、遊ぶには必ず士に就く
訳文:すぐれた人はその居る場所には必ずよい環境を選び、交遊の相手は学徳のある人を選ぶ。人は環境と交友関係に影響される。
キリスト教における「性悪説」
キリスト教の教義が「原罪」に基づいているため、キリスト教は性悪説の立場に立っている、との論があります。キリスト教の 「原罪」とは、「人は生まれながらに罪を背負っており、その罪からの解放は神の恩恵のみである」とする考え方です。またこのときにいう「性悪説」とは、「人は生まれながらに悪人である」という考えです。しかし罪を背負った人間を悪人としているわけではないため、解釈の仕方によると考えられます。
フロイトにおける「性悪説」
精神分析学の創始者であるオーストリアのフロイトは、人はもともと悪いものとして生まれており、そのため人と争ったり、戦争をしたりすると考えていました。その根拠として、人間には破壊的衝動力が生まれながらに備わっていると主張しています。このような思想から、フロイトは「性悪説」である、との論があります。しかしフロイトが直接的に「人間は悪である」と主張したわけではないため、解釈の仕方によると考えられます。
世の中には善か悪かの2つしかなく、一度「悪」と認定されたものは徹底的にたたく──。
今、SNSではこうした考え方、行動がよく見られます。
SNSに限らず私たちも、よく考えもせずに
「彼は悪い人だ」
「あの会社はもうダメだな」
と決めつけてしまうことはないでしょうか。
結果、追いつめられる人が増え、世の中がギスギスしていく……。
「物事を寛容に受け止める心と、自分の頭で考える習慣が必要です」
から見て悪が支配する国と思われている
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【何故悪に魅了されるのか?】
魅了とは何か?
「一理ある」
「ああ、すっきりした」
「いいな」
「そうなりたいな」
そんな気持ち。
なので、
>何故悪に魅了されるか?
原罪(なるほど、それもありじゃね?)があるから。
悪魔がいるから(多神教が悪魔になるのは交流が始まってから、と考えると比較や客観視こそが始まりかも…/タレスとか)
人はよりコスパのよい幸せを求める気持ちがあるから。
(現代社会は法などによって悪的行為をコスパの悪いものにしている。
結局全体では損するわけだし。)
人間もケモノ(暴力で解決したい、嫌な奴には消えてほしい、生存競争)だから。
(動物的快楽や行動・思考の自由さ)
おまけ:近代の外道:石井四郎
七三一部隊(関東軍防疫給水部)等
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【ファシリも考えてみた!】
人間の弱さ
→人間の心の弱さ
人間が競争する動機は注目される点にあって、それは虚栄である。
これはまさに人よりよくありたいという野心そのものである
→
この弱さが人を悪に惹きつけるのではないか
『エチカ』第四部でスピノザは、悪の問題を「人間の隷属あるいは感情の力」との関係において論じている。
その序言で彼は、「感情」(affectus)を抑制できない人間の無能力を隷属と呼んでおり、感情に支配されるひとは、善いものを知りながらも悪を選んでしまう傾向がある。
かっこいいから
→単純に”悪いこと”はかっこいいからなのではないかと思う
→悪いとされることは、誰もやらないこと
→やっている自分かっこいい
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ファシリテーターより
今回もありがとうございました!
ファシリテータ―の山田です。
今回のテーマは、参加者の方よりオファーをいただきました「悪」というテーマを、アレンジしたものをテーマとして設定いたしました。
テーマ案を出していただき、ありがとうございました。最初の段階では、「悪」というテーマで考えておりましたが、「悪」というテーマそのものが、様々な問いかけを生む深いテーマとなっているため今回は、その「悪」の中でも、それが取り憑いている人物として想像しやすい「悪役」をテーマにいたしました。今回の探究では、人はなぜ、「悪」に魅了されるのかという問いかけから、そもそも「悪」とは何なのか、「悪役」と呼んでるものはそもそも「悪」であるのかという点を踏まえた上で、「悪」に取り憑かれるのはなぜかを深く考えることができるようにいたしました。「悪役」と一つの言葉でまとめられても、その人物が「悪役」となっている理由は様々あると思います。
今回の探究から、「悪」とは何なのか、「悪」の魅力と何なのかについて、深く考えることができたのならば幸いです。自分の中でも、「悪」に対する考えに変化があったように感じられた回でした。今回も色々な意見が出て来て、私も沢山学ばせていただきました。
ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
またやりましょう。
次回は、
5月6日(金)19:30~21:00
を予定しています。
引き続き、楽しくて学びになる探究の場を実施してまいりますのでお楽しみに!