第152回「先生の役割 ~義務教育編~」
第152回 探究型ワークショップ実施!
テーマは「先生の役割 ~義務教育編~」です!
本日の問い
小学校・中学校の先生の役割って何だろう?
(片方だけでも、両方考えてもOKです!)
探究
インプットセッション
Q.学校の先生のお仕事って何があるでしょう?
>>たくさんありすぎ。。。!
>>部活動の顧問
>>授業
>>部活動
>>事務、日誌とか
>>行事運営
>>などなど…!
>>保健の先生
>>うちの担任の先生は特別講習企画してたりしてました
>>おおおー!
>>ホームルームをコロシアムで…!?
>>クリティカルシンキングいいですねえ!
>>プログラミングは「段取り」上手くなるかもですしねー!
>>日本でも分担制になる話もあがっていたり…!
>>スポーツジムの先生が体育や部活動やる日がくるかも…?
グループトーク
<<現役大学生より>>
〇小学校・中学校の先生の役割ってなんだろう?
(両方でも、片方だけでもOKです!)
〇エリクソン発達課題
〇学童期(小学生)→勤勉性
〇青年期→自我同一性
〇勉強を教えること?
→AI先生の台頭
〇社会で活躍する人材を育成すること?
→日本の教育は150年間変化していない。
→先生の役割は、時代に応じ変化を続けている。
〇こういった点も踏まえて、先生の役割は、生徒一人ひとりの目標に寄り添って伴走したり、モチベーションが上がるように褒めたり励ましたり、学習姿勢を見ながら勉強の仕方を助言したりする「コーチング」を行うこと
>>じんじょう
【尋常】
1.
格別(特に、異常)なところもなく、ごく普通なこと。
「―の手段では解決しない」
2.
すなおなこと。おとなしく、乱れていないさま。「―な顔立ち」。殊勝。悪びれず、取り乱さないさま。
「いざ―に勝負しろ」
>>
「いざ尋常に!」(おおお。。。!?
>>あえて難しい質問を投げてみます
「どんな「生徒」を想定?」
⇒普通の生徒…
⇒「普通」って何だろう?
>>「普通」の基準は国によって違いますからね
>>アメリカなどは「皆違うので、認め合って話し合える」のが重要視されていたり
>>一人ひとりの性格も、得意不得意も、抱える事情も、それぞれ違うのはどの国でも同じ
⇒それに対してどう関わるか、そのための仕組みは国によって結構ことなりますよね
(日本では「不登校」という言葉があるけどアメリカではホームスクーリングができたり、一人ひとりと向き合う仕組みが完備されている国もあったり)
ー--
<<現場の先生より>>
〇子どもに対しての生徒指導?
小学校など義務教育の目的は、「各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うこと」と教育基本法に定められています。生徒指導と聞くと、問題のある生徒に対するものと誤認されがちですが、この教育目的を実現するために子ども全員に指導、援助するのが生徒指導です。
生徒指導を正しく行なうためには学校、家庭、地域の連携が欠かせません。
この点で、先生はPTAとの連携、保護者への報告といった仕事にも尽力することになります。
例えば、中学校の教員の役割
高校受験を控える中学生は、勉強が重要になる時期でもあります。
しかし、中には授業に興味を持たない生徒もいるでしょう。
生徒にいかに楽しんで勉強してもらえるかを工夫することも、教員の役割といえます。
また中学生は、心身ともに子どもから大人になる不安定な時期であるとともに、人生の進路を決める大切な時期だともいわれています。成長過程にある生徒一人ひとりをしっかり理解し、個性や才能を伸ばす指導を行なうことも、中学校教員にとって重要だといえるでしょう。また近年は、非行など様々な問題が表面化しています。そうした背景から教員はより多忙になり、責任も大きくなっている傾向にあるようです。
>>先生の役割を考えるうえで、周りの環境も考慮に入れる必要がありますね
ー--
<<現場の先生より>>
教師の役割ー
(1)「ティーチャー」・・
体系化された知識や技能を子どもたちにしっかり定着させる役割。
これまでの教室でよく見られたような網羅的かつ羅列的な学習指導のままでは、限られた時間内で教科内容をクラス全員に十分に理解させることは難しいのが実情。
今後の授業では、聞き手の興味・関心を引きつけながら理解を促すの技術の重要性。
(2)「ファシリテーター」・・
参加者(児童・生徒)が安心して話ができる雰囲気を作り出し、話し合いが建設的な議論に発展していくよう「場をデザインする」役割。授業だけでなく保護者・地域との連携の場でも必要。
(3)「コーチング」・・
フルマラソンを例に挙げると、練習メニューを一緒に考え、設定した目標を共有していたとしても、実際に走るのは本人。
諦めそうになる気持ちを奮い立たせて、選手を「目標に向かって導く」存在。
コーチングのスキルは教育の場においても今後ますます重要になるだろう。
ー--
<<現役中2生より>>
・生徒と共に授業を作っていく。道徳の授業であることを言っても
最後には先生の意見に持っていかれたときは少し「うーん…」ってなった。
・生徒たちに対して平等である努力をすること。
・自分が問題児だと思っている子をただ叱るだけで終わらないようにする。
(家庭環境や学校での扱われ方に問題があるのかもしれない。
もしそうだとしたら放置は本当に危険。)
・授業外でも生徒と関わりを作る。
>>答えありきの議論は「うー-ん」ってなっちゃいますよねえ・・・
(もやもやするー!)
>>まとめたくなってしまうのは、教壇に立つ者として分かります…苦笑
>>学校は社会の常識を教える場。だから道徳でも模範解答はあってよい。ただそれを押し付けるべきではない。模範解答がある中で「自分はこう思う」とか「これは違うんじゃないかと思う」とか一人ひとりが考えることが大事なのでは?
>>最近教員免許取るために勉強しているから分かるのですが、やる気の引き出し方とか、しつけの仕方とか、先生になる人達ってしっかり理論としては勉強しているんですよね。
(例えば、多動の子が授業中に立ち歩いてしまう時、歩いた時に叱るのではなく、座っていられた時に褒める、など)
でもちゃんと勉強していても、それを現場で実践するのは難しいのだなということが分かりました。とても良い意見だったと思います。
>>お茶大附属症では てつがく ってあります。
ー--
<<民間で教育に携わる方より>>
小学校、中学校⇒義務教育
義務教育の意義
⇒基本的人権を実質的なものにするために重要な役割がある
引用
「『健康で文化的な最低限度の生活を営む権利』(生存権)(25条1項)をすべての国民に保障していますが、その実現は教育にかかっているといえますし、幸福を追求する権利や参政権も教育によってはじめて享受できるようになる」
(勝野正章・庄井良信『問いからはじめる教育学』有斐閣2018年)
中でも最も重要なことは、
「教育の機会均等」
ではないか。
よって先生の役目はひとりひとりに機会の均等を提供すること。
公正や公平の違いなど、実施はとても難しいと思う。
日本の学校教育は、
無償の範囲が狭い
例)修学旅行など
困窮家庭には不安要素となる
これに続く高校などへの進学や進級率にも影響が生じる。
人種や障害などによる対応と多様性にも課題がある。
養護学校の義務化もたしか1970年代後半。
移民労働者も多い。
社会の受け入れ方や社会全体の価値観を変えていかないといけない。
たぶん、先生が外に出て学ぶとか、外部の人材が学校の中で協働するとか、必要。
地域などとの関りで学校単体の負担を減らすことも重要。
そういった柔軟性を小中学校内に反映することにより、
社会をより良いものに変えていくという土壌をつくり、
生徒や関わる人に実感してもらい、
結果として労働や参政を通じて基本的人権を真に享受できるようにすること。
そんな意味で、先生は生徒の関わりのすべてに責任を負う唯一の人とならず、マネジメント力を高めたコーディネーターになっていくといいのではないかと思う。
ー--
<<広告業界の方より>>
理想は「修身」(≒道徳)だが…
(味方になる)他人な大人がいると知ってもらうこと。
大人も人間だということを知ってもらうこと。
勉強は楽しい!ということを知ってもらうこと。
大人も楽しいということを知ってもらうこと。
*授業は忘れてしまうかもしれない。
先生の話もおぼえてないかもしれない。
でも”人間”の先生がやるべきことは
大人は楽しいという”修身”(生きざま)を見せる事。
先に立つこと。
(そして案外適当でもいい人はいるということ)
ー--
ファシリも考えてみた!
☆先生の役割
〇社会にとって
・社会の担い手を社会に送り出すこと
・担い手とは??
ー働き手
ー研究
ースポーツ、研究
・・・
等々多岐にわたる分野の中で、自分の能力を周囲の人のために発揮してくれる存在
・能力とは、その人が持っているもの
ー学び得たこと
ースキル、経験(学校だけでは難しいものもあるが…対人、COM、失敗経験等も含まれる)
ー体力、バイタリティ
・・・
・発揮するためには、
納得できる志
自分は社会の役に立てるという自尊心(自信)
自分がやらなきゃという責任感
(とそれをやることに対する納得感)
・・・
第一は心が健康であること?
これは学校の役割だろうか…
いやでも、一人ひとりが成長して社会に出るために不可欠なのは、先生の人としての関わり。
学校としてその役割を果たす=先生の関わり&学校という機関を維持・改革していくための努力
〇先生個人にとって
・子供たちと関わること
・学校を運営すること
(=子供たちの学びと成長の機会提供)
日本の学校ではどうしても1対多の性質が強くなってしまうが、本質は一人ひとりと関わること。
・一人ひとりに寄り添い、伴走し、一緒に課題と向き合い、乗り越え、その子が次の段階へと進んでいけるようアシストすること
・知識、技能の提供、学びと成長のコーディネート
(ティーチング、コーチング、ファシリテーション)
しかしまあ、色々海外の事例を見てみると、日本では先生1人の責任が大きすぎる気がします。
先生が大変なのもあるし、子供たちにとっても機会損失になってしまう。
人材は国の最大の資源でもあるし、子供たち一人ひとりのことを考えても、もう少し人を補充し、仕組みを改革していく必要がありそう。
(ヨーロッパのある国では、先生は15時半に退勤する。それで成り立つなら、それに越したことはない。)
日本がここまで集団授業の文化を引き継いているのは、テラコヤの影響だろうか。
当時は良かったのだろうか。
何か課題はなかっただろうか。
基礎的な読み書き計算と、古典の暗唱だけ(?)なら集団授業は理に適っているのだろうか。
いやいや、これは集団授業のように見えて、その本質は自立学習だったのかもしれない。
ということは、集団にせよ、個別にせよ、うまくいくポイントは「自立」か。
先生の役割は、まさにそういった部分にもあるかもしれないな。
最後に、好きな記事を一つ、参照してみる。
戊辰戦争の時、庄内藩士は強かったらしい。
なぜなら彼らは自立していたから。
教育の力によって一人ひとりの自立度が高く、自分で判断し、自分の意志で戦うことができた。
凄い話や。。
ファシリテーターより
今回もありがとうございました!
ファシリテータ―の木原です。
今回は久々の教育ネタです。
自部の本職が教育だから…という訳ではなく、
最近実施してきたテーマを見返し、
「そういえば教育ネタをしばらくやってないな」
と気づいたので、久々に企画してみました!
私と、共同代表の大庭が教育に携わる人間だったこともあり、初期の頃は結構教育ネタを扱っていたような気もするのですが、その後あまり偏らないようにと意識し、幅広いテーマを扱うようにしていました。ですが今回は、「たまにはいいかな」と思った次第です。
いざ教育ネタをやろうと思った時、思い出したのが最近自分が参加した勉強会です。
そこで扱った題材が「日本の教育・先生はどうあるべきか」というものだったのですが、
そこでは
「先生の役割はこう」
「先生はこうあらねばならない」
といったことが説かれており、これは賛否両論あるだろうな~という感じでした。
そこからヒントを得て、
「なるほど、先生の在り方について皆で議論したら面白そうだな」
と考えたのが、今回の企画に繋がります。
今回は、
・現役の先生
・現役の中学生
・民間で教育に携わる大人
・現役の大学生
・教育業界とは違ったところで活躍される大人の方
にご参加いただき、各々の立場、様々な視点から意見を出し合っていただくことができました。特に、これはMWCの根本的なコンセプトの部分でもありますが、先生の在り方について、現役の先生・大人と現役中学生が互いに意見を出し合い、互いに学びや気づきを得られたこと、これには大変大きな価値があったのではないかと思います。
ご参加くださった皆様、本当にありがとうございました。
「先生の役割 ~高校編~」や「大学の授業の在り方について」など、機会があればまた企画してみたいと思います。
次回は、
3月25日(金)19:30~21:00
第153回「故郷」を予定しています。
引き続き、楽しくて学びになる探究の場を実施してまいりますのでお楽しみに!