第116回「模造と代用」
第116回 探究型ワークショップ実施!
今回のテーマは「模造と代用」です。
【本日の問いかけ】
人はなぜ「本物そっくり」を求めるのか?
【グループトーク】
~インプットセッション~
>>造花の総称が香港フラワーだったのですな…
>>理想の肉体をどう描くか?という話ですな。
>>ルネサンスは解剖見学までやってたりするしなあ。。。(すご!
>>90%かかおチョコみたいなもんかなあ
↑にがっ!
>>チョコレートは甘くしたことに力があるのかもですね!
>>90%かかおチョコはあまりうまくないとパッケージに書いてあり、実際全くうまくない。70%ぐらいが限界かと。
↑たしかにー!
>>マジで苦いチョコは甘さがないのでだめ
>>ヨーロッパにチョコが持ち込まれたときは薬扱い(苦いし)だったみたいですな。
>>それを成分分離と砂糖で板チョコにしたのが大革命という…
>>その後さらにアポロがチョコを世界で初めてバラバラにしたんですよね、確か。
↑へええ!
>>先に話題に出ていた「めっちゃ小さい折り鶴」インスタ、おいしそうなご飯めっちゃ出てる…!
>>
(工芸品は別アカでもよいかもですなー!)
~グループトーク本編~
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人はなぜ「本物そっくり」を求めるのか?
真実の追究をしたがるから?
真理を求めたがる
旧約聖書では、「神は自らに似せて人を作った」とあるが、私はどうもこれは逆ではないかと思う。
おそらく、人間が「自分に似せて神をつくった」のだろう。
旧約聖書だけではなく、ギリシャの神々も日本神話の神々もすべて人間に似ているというか、明らかに「人間的」な価値観を持ちすぎている。
私の考える神とは、この世界のすべてを差配する全知全能の神の事であるが、どう考えてもそれらの神とは似ても似つかないものになる。
まず、神は全知全能であるがゆえに人間を認知しない。
神は全知であるから当然、私がここでパソコンに向って記事を書いていることも知っている。
知っているが、私という人間を認知しているかどうかが疑わしいのである。
というのは、神の世界把握の仕方は我々人間とは違う、有限である人間のものごとの把握の仕方は表面的なものであるが、神はすべてを把握している。
つまり、誰それが何かをしている、というような概念を媒介にした認識の仕方ではなく、分子や原子、素粒子のレベル(というか、ひょっとしたらもっとベーシックなレベル)ですべてを把握しているからである。
私たちは世界を可視光線を媒介にして見ているが、神の視点からみればそのようにして見る世界は特殊なものである。
神は可視光だけでなく赤外線やⅩ線も見えるし、第一ものを見るのに光など必要としない。
人の顔を見ると同時にその中のドクロも観ている、それも素粒子レベルでである。
つまり、無限の能力を持つ神はカオスをカオスのまま把握することが出来る。
非力な人間は、流動する事象の中に差異と反復を見出し、なんらかの抽象化を経ないとものごとを理解できないのである。
ヨハネによる福音書には「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。」とあるが、これは西洋人のロゴスの偏重にちがいない。
「言葉は神」であるどころか、おそらく神は言葉とは無縁のものである。
第一に神はコミュニケートする相手がいない。
言葉による理解は必然的に抽象化を伴う、非力な人間は言葉によらなければ思考することが出来ないが、神はすべてを把握しているのだから、もはや言葉による思考など必要ないのである。
最後に神の「意志」について考えてみよう。神は万能であるがゆえに、意志したことはすべて実現できる。というより、意志することと実現していることは同じであるとみなすべきだろう、万能なのだから。
すると、私が今記事を書いているのも神の意志ということになりはしないか?
すべてが神の意志なら、今この世界で起きていることはすべて神の意志である。
今起きていることがすべて神の意志であるならば、この宇宙そのものが神ということになりはしないか?
結局、神は万能であるがゆえに、あっても無くても同じということになりはしないだろうか?
どうです、どこかおかしいですか?
>>身の回りにあるものを真似して作るのって、宗教や文化・地域によってモチベーションが違ってきたりするのですかねぇ
>>特に昔は、、
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【本物そっくりを求める理由】
本物というのは知っているもの、見たことあるものなので、初耳のワードを思い出すときには「~似」というイメージをもつ。
そっくりを求めるのは知ってる者と新情報を図でリンクできるようにするため。
>>「~似」=激似でなく違うことが多いですね
>>深いことが違うわけで
>>高頻度で聞く言葉「え~ここマジで似てる~」(「ここ」なので一部だけを切り抜いている)
>>摂動論
>>近似解を求めるテクニック
>>摂動論でも莫大じゃない範囲で誤差を考えることですね。
>>僕が数学科時代に研究したのは確率の近似ですが、当論はどの単位にも使える近似ですね。
>>元あるものと似せる者を作っても解が違うというのは作り手が違うからですね
↑なるほど!
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自分の想像だけで新しい事を考えるのと造ることは容易ではないから
例えば生物は進化のために自分の欠点から着想を得て変わっていってるが
突然謎の意味不明なこの世に存在しなかった機能を搭載しても
「は?????」
と基本的になると考えられる
新しい事を作ったり考えたりすることにおいてオリジナルから考えることは0から考えることより
考えやすく成功しやすいのでは
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本物は高くて少なくて難しいから?
安くでそっくりなものがあればそれで満足?
文字や言葉では伝えるのに限界があるから?
3Dプリンター
AIとロボット
声まね
顔まね
動作まね
「本物そっくり」で人は満足してしまうのだろうか?
模造技術の発展の裏で『本物』がなくなっていってはいないだろうか?
>>家も作れるそうですからねぇ>3Dプリンタ
>>内臓つくりたい…>プリンタ
>>ここ最近ますますメール送るべきものもボイスにしてます
>>リアルルパン三世!?
>>ボイスチェンジャーあるそうですがやり方知らないので設定できてません
>>ルパン3世のボイスチェンジャーできますね
>>『ゆっくりしていってね!』
(動画サイトの読み上げなんかもそうだなあ。。)
>>漂流教室→北斗の拳の世界に学校ごと転生する話
>>漂流教室は1972年から楳図かずおさんが書かれた漫画ですが、15年後に本人は警官役で出ていらっしゃいます。
>>南果歩さん、小林稔侍さんもしゅつえんされていらします
>>やっとはいれた!!!!!!!!
>>こんばんは!!
>>こんばんは!!面白いので病みついているイベントです!!
>>伝統になるってのは優れてるからなんだよなあ
>>伝統を強調するのは好きだからという確証ですね。
>>でも伝統を変えるのは当時の人じゃなくて今いる我々ですかね
>>歌舞伎なんてそうですよね
>>最近、世阿弥の風姿花伝の解説動画を観ました(まだ読んではいません、、)
>>彼らの一座も、最初は超革新的に色々なものを生み出して、努力したんだなぁというのが伝わってきました
>>香川照之さん、市川海老蔵さん、松本白鷗さん幸四郎さんも歌舞伎を代々受け継いでますね
>>父が子に主役を抜擢ですか?ぶつかっても縁が続いていける模範者ですね。小泉劇場とかそうですかね
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【人は何故本物そっくりを求めるのか?】
>本物を伝えたいから
→食品サンプル(食べなきゃわからないけど伝えたい!)
>本物を残したいから
→養殖
>車輪の再発明は嫌だから
→生物模倣
>本物の気分を味わいたいから
→タンポポコーヒー(戦時中レシピとか)
>本物を知ってほしいから
→神様の彫像
>本物を基準としているから
→美容整形
>本物は固くて退屈だから
→豆腐のメモ帳みたいなパロディ商品
>本物を知りたい(もっとよくありたい)から
→イデア(理念、思想、概念等)
>本物(本質)が欲しいから
→人造ダイヤ
>>シックスナイン=99.9999%ですな
>>すごい精度!
>>種子島の鉄砲を、ふと思い出しました。
>>本物(ポルトガル製)よりすげえ。。。!
>>「ほぼ」シリーズに通ずるものを感じますね。(笑)
>>ちなみに徳川平定後、日本の傭兵部隊の一部は海外にわたったそうな。。。
>>1mを基準とすればそれ以下のものも多いですね。
>>シックスナインがほぼ全てですが、粒レベルだとヒトの目に見えない(1㎜より小さい単位)も存在します。
>銃兵として活躍したとか
>>日本は「本物」を改良して本物よりすごいものを作るの得意ですよね
>>鉄砲伝来は種子島ですが、当初の予定は違かったみたいですが、強風で漂着した説だそうです。
>>でも鉄砲系はゲーセンですね。
>>妖刀って本当にあったのかなあ。。。
>>刀の探究はそのうちアリですね
>>刀鍛冶など刀剣系は今はペンダント装飾系に活用されてるようですが
>>妖刀村正とかありましたね
>>ムラマサは製作者ブランド(シャネルみたいな)みたいなやつですな・・
(有名すぎなので色々利用された説…)
☆楽器の話>>本物と模倣
>>同じでも構いません。生産性効率重視ですね。
>>吹奏楽経験してたのですが鍵盤系はそこまで知識が少なかったので、今日の佐藤さんのは色々勉強させて頂きました
>>適度な周波数ですね
>>「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」
>>デジタル音だと、無限に周波数を含む自然の音を完全に正確には再現できませんねぇ
>>オルガン調律ですかね
>>第六感ッ!
>>ラマヌジャン!
>>調律 協和する音程
>>(ガラスのシャワー!>漫画ネタ
>>第六感 聖闘士星矢で聞いた
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【人はなぜ「本物そっくり」を求めるのか?】
〇みんなが欲しいから
〇必要だから
〇役に立つから
⇒生物模型
⇒「答えを探す」という行為に、昔の人とつながれそうなものを感じますね、、
〇何かを再現したいと思う欲求がある?
・花
・模型(プラモデル)
・・・
〇何かを作りたい!
⇒身の回りにあるものがモデルになる
⇒できるだけリアリティを追求するようになる
(マズロー風にいうと、、承認欲求 or 自己実現欲求)
新たな問い:
・生理的欲求
・安全の欲求
・社会的欲求
・・・
どの段階が達せられた時、人は「模倣」ということを行うのであろうか?
(これは事例(厳しい環境で模倣を行った事例)を調べてみたい、、というか知っている人がいたら教えてください!(笑))
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【ファシリテーターより】
今回もご参加いただきありがとうございました。
ファシリテーターの木原です。
今回は、テーマ「模造と代用」ということで、
“本物ソックリを追求する”
という古今東西多くの文化で共通する、
現在でも多くの人が見聞き経験したことのある、
行為について皆で考え話し合ってまいりました。
そもそもきっかけは、先日某ファミレスに行った際、トイレに「造花」が飾ってあるのを見たことでした。
「すごいクオリティだなぁ」
「あれ、ところで、街中の花屋さんで本物の花を買うこともあるし、公園にも花は咲いているけど、なぜ造花を作るのだろう」
「てか、造花は一般的に広まっているけど、本物の花を扱う花屋さんも普通にあるし、造花と生花ってそれぞれどう違うのだろう(それぞれにどのような価値があるのだろう)」
どんなことを考え、今回の探究を作ってみました。
元々は「造花について」と言うことで考えてみましたが、色々調べたり考えたりしていくうえで、「本物ソックリ」を追い求めたものは色々あるのだと気づきましたので、今回のテーマにしてみた次第です。
ちなみに、造花について最初に調べた時、その歴史の古さに驚きました。
まさに古今東西、日本にも、世界にも、大昔から「花を模したもの」を作る文化はあったようで、
ここには例えば
「様々な文化における花の役割とは?」
「人はなぜ花を愛でるのだろうか?」
「美しさとは?」
といった問いも立てられそうだなぁと思いますので、
この方面で何か探究にできないか、考えてみようと思います。
ご参加くださった皆様、ありがとうございました。またやりましょう!
次回は第117回「直感について探究する」を予定しております。
今後も楽しくて学びになる探究の場を実施してまいりますので、お楽しみに!