【OIC】もし本能寺で信長が死ななかったら

もし本能寺の変が起こらなかったら
どうなっていたでしょうか?
ぜひ一緒に考えてみてください!

こんにちは、木原です。

5月28日(日)にOICワークショップ5月第2回を実施しました!

今回のテーマは

もし本能寺で信長が死ななかったら

です。本能寺の変は6月2日に起こった出来事なので、ちょうど時期的にもぴったりなタイミングでの実施となりました。

OICプログラムとは?

OICプログラムは、世界で起きていることや重要なテーマについて関心を持ち、自分で考え行動するきっかけになるとともに

  • 批判的・論理的に思考する力
  • 他者と議論する力
  • 自分で情報収集し、判断する力

を鍛えることを目的とした、主に中高生(一部小学生も参加可)対象のワークショップです。

本能寺の変

今回は歴史をテーマに皆で考えていきました。題材は日本史最大のミステリーの一つ

本能寺の変

謎が多いからこそ、戦国物の大河ドラマでは「ここをどう描くか」が毎回注目される面白いポイントですよね。

近年放送された大河ドラマ「麒麟が来る」では、人間味あふれる信長と光秀の若いころからの関係性が描かれ、今年の大河ドラマ「どうする家康」では、家康視点での見え方や解釈が描かれることでしょう。既に作中では信長の家康に対する信頼関係が描写されていますし、秀吉や光秀も、いかにも黒い部分がありそうな感じで描かれ、本能寺の変が主人公家康のその後に大きな影響を与えるイベントとなりそうな感じがします。

今回はそんな本能寺の変について

もしも起こらなかったら?

という歴史の”もしも”を考えてみるワークショップです。

今回の概要

なぜ光秀は信長を襲ったのか?

もし本能寺の変がなかったら?

なぜ本能寺の変は起こったのか?

まずはじめに、インプットとして「麒麟が来る」のまとめ動画を視聴しました。光秀の信長の関係性の描かれ方、どのように本能寺の変に至ったか、がうまくまとめられている動画です。(⇒動画はこちら

中でも、このドラマにおける信長の解釈を最も象徴するシーンだと思いますが、信長が光秀に言ったこのセリフがとても印象的でした。

乱れた世を変え
大きな世を創れと

儂の背中を押したのは誰じゃ
そなたであろう

そなたが儂を変えたのじゃ

大河ドラマ「麒麟が来る」より
信長のセリフ

他にも、問いかけを考えるうえでのインプットセッションとして、YouTubeからいくつかの動画を参考に、本能寺の変の雰囲気をビジュアルで確認していきました。そのうえでまず、1つ目の問いかけです。

今日の探究テーマ①

なぜ光秀は信長を襲ったのだろう?

自分の考えでもいいし
どのような説があるのか調べてみてもOK

参加者の回答

小6の参加者

光秀が信長に恨みを抱いていたから

小6の参加者

光秀が信長に対する不満を抱いていた。命令されたことが気に食わなかった。

中1の参加者

天下が欲しかったから

大人

本能寺の変の前に光秀が詠んだ歌から、光秀の野望と復讐を結びつける説があるよね。

ときは今
あめが下知る
五月哉

とき⇒光秀の本姓「土岐氏」
天下を知る⇒治める

中2の参加者

丹波攻めの際、人質として差し出した母親が殺されてしまったから。


命を助けるという条件で降伏してきた波多野秀治を信長が赦さず、その結果秀治の家臣たちによって光秀の母親が殺されてしまった。

中3の参加者

丹波攻めの際に母親が殺されてしまったため、その復讐。

中3の参加者

光秀が親しかった長宗我部を守るために信長を殺した。


長宗我部は当初、光秀を通じて信長とも親しく、四国を好きにして良いという許可をもらっていた。だが信長の天下統一が近づいてくるにつれ、信長は約束を反故にし、三男信孝に四国攻めを命じた。

高3の参加者

天皇に恨みを買った
単独犯、衝動的な行動

大人

イエズス会の策略?

本能寺の変の後、どうなったか

本能寺の変の後は、皆様ご存じの通りです。

本能寺の変の直後、中国大返しを敢行した秀吉が山崎の戦いで光秀を討ち、翌年には賤ケ岳の戦いで柴田勝家が自害。この時点で織田家の重臣を2人も打ち取ったことになりますね。その後、小牧・長久手の戦いで家康と対決。ここでは決着がつきませんでしたが、後年には家康は秀吉の家臣となっています。

このようにして、信長の死後、秀吉が急速に信長の旧勢力を飲み込んでいった秀吉が天下を取りましたが、彼の死後は豊臣と徳川の勢力が関ケ原の戦いで衝突。その後家康が天下を取り、以降260年以上にわたって江戸時代が続くのは、皆様ご存じの通りです。

関ケ原の戦いをもって天下の趨勢が決まり、その後続いた江戸時代が後の日本に大きな影響を与えたことは間違いありません。首都が東京にあることもそうですし、江戸時代には現在まで続く様々な文化も醸成されました。

もし本能寺の変がなかったら

ではもし、そもそも本能寺の変が起こらなかったら、どうなっていたでしょうか。歴史の”もしも”を考えることは、2つ目の問いかけです。

今日の探究テーマ②

もし本能寺の変がなかったら

どうなっていただろう?

参加者の回答

小6の参加者

結局信長は殺されたのではないだろうか。当時信長は病気で先がなかったから。

小6の参加者

既に色々な人から命を狙われていたから、結局殺されたと思う。

中1の参加者

信長が天下統一し、17代続いて大政奉還。

現代の芸人のネタが一つ奪われる。

※多分、これのことだと思われます。(笑) ↓

『本能寺の変』 踊る授業シリーズ 【踊ってみたんすけれども】 – YouTube

中2の参加者

もっと早く平和な世の中になった。鎖国は行われなかった?

中3の参加者

織田家の家督は息子へ。秀吉は織田家の武将として一生を終えた。秀吉が関白になることはなく、関ケ原の戦いも起こらなかった。

中3の参加者

色々な人からのヘイトがあるので、結局信長は殺され、家康が天下統一する流れになり、現在に至る。

高3の参加者

東京に中枢機関が集まらなかった。⇒今の滋賀県のあたりに?

大人

そのまま信長が天下を取る

・もっと早く資本主義社会になっていた>>楽市楽座

・欧米化がもっと早く進んでいた

・信長は意外と朝廷に対する忠誠心があるし、日本が安定する方法を考え、大政奉還が300年早く起きていたかもしれない。

歴史の“もしも”を考える

本能寺の変は、実際の所どうだったのか正確には分かっていません。ですがとてつもなく大きな出来事だったことは確かです。

歴史の”もしも”を考えることで、様々な学びや気づきが得られます。

勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵す。
勝った戦争にも
敗けたかもしれない敗因が秘められている。
敗けた戦争にも再思三考すれば勝てたとの可能性もある。

これを探求して発見することに
こそ勝利の秘訣がある。
成功の鍵がある。

行き詰まり打開の回答がある。
これが歴史の要諦である。

小室直樹『日本の敗因—歴史は勝つために学ぶ』より抜粋

歴史に学ぶ、ということは成功の鍵なのかもしれません。もしかすると、徳川家康は織田・豊臣に起きたことをよく観察し、彼らに起きた出来事を深く探求したからこそ、長期にわたる覇権を築けたのかもしれませんね。

参加者の声

中3の参加者

歴史の”もしも”を考え、歴史って面白いと思った。

中3の参加者

本能寺の変には色々な裏がありそうだと思った。

高3の参加者

ひとつの出来事を深堀りするとたくさんの考察ができて面白いなと思いました。

コロナのように伝染病も過去に何度も繰り返されてきていて、その教訓が活きることがあると思うので、もう少し歴史について学ぶことで今後に活かしたいです。

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