第45回 探究「環世界」
第45回 探究型学習コース実施!
【アイスブレイク】
今回のテーマ「環世界→他者理解」にちなんで
『私は〇〇です』のブレスト&自己紹介を実施!
互いに理解し合うためには、自分を理解することも重要になってきます。
そこでまずは、自分とはどういう人間か、制限時間付きで大量に考えてみました。
これは、やってみると結構難しいですね。
たくさんかけている人もいますし、逆に2.3しか書けない人もいました。
これらを踏まえたうえで、インプットに進んでまいります!
と、いうわけで本編!
【探究】
今回のテーマは『環世界』ということで
『我々はそれぞれが自分の知覚・経験によって構成される主観世界(環世界のようなもの)を生きているものとして、他者のことをどこまで理解できるのだろう』
という問いかけについて皆で探究していきました。
〜インプット〜
○今ここに存在している「私」というものに対する疑問
「私は、なぜ私なのか」
「我思う、故に我あり」byデカルト
色々な人が、私と言う存在「主観」について考えてきた
○自己理解
ジョハリの窓
→対人関係における気づきのグラフモデル(心理学)がある
→4つの自分の姿を知り、自己開発に役立てる
→解放の窓を広げていくと、人との関係構築が円滑になっていく
○バーナム効果
ちなみに、「自分を知る」と言う文脈において、バーナム効果と呼ばれるものがあり、それは、「あなたはこういう人ですよ〜」と言われると、多くの人に当てはまるようなことでも、当たってる、、と思ってしまうことがあるというもの。
(占いなどでよく使われる)
○他者理解
他者理解とは、心理学的には〜と考えられている
ただし、他者理解だけあって共感性が欠如すると、他者理解の悪用といった、宜しくない行動をとることもある
○共感(共感性)に関連する言葉(概念)として、心理学では
「情動的共感」「認知的共感」「視点取得」「心の理論」といったものがある
☆ハイカーの気持ちを読み取る簡単な心理テスト
○自己中心性
人は他者のことを考えるとき、自分自身を参考にする性質がある
これによって、正しく他者を認識できない場合もあるが、これはある程度自分勝手になることで自分の心を守るための作用だと言われている
〇環世界とは
全ての生物は、自分自身の持つ知覚経験にのみ基づいて世界を認識しており、各々が主観的に構築する世界を生きている。
→マダニには、視覚・聴覚が存在せず、嗅覚・触覚・温度感覚のみが働いている
→彼らにとって”世界“は酪酸の匂いと触った感じと温度のみによって構成されている
〇コウモリであることはどのようなことか
アメリカの哲学者「トマス・ネーゲル」が立てた問い。
コウモリが持つ主観的体験は、客観的手法(サイエンス)のアプローチでは決してたどり着くことができない
☆「人間の脳を持ったままコウモリの体を得て、コウモリ体験をする」のではなく、「コウモリの脳を持って、コウモリの体を得て、コウモリとして生きる」というのがこのポイント。
→「コウモリにとって、コウモリであるとはどういうことか」
超音波の反響音は見えてるのか聞こえてるのか、何も感じていないのか、はたまた人には理解できない感覚なのか。
(人間は、モノで反射した光を目でキャッチすることで、身の回りの景色を映像として見ている。もし視覚を持たない生物が人間のそのシーンを見たら、目で光をキャッチしている彼らは、それをどのような感覚で体験しているのだろう、彼らは周りの世界をどのように感じているのだろう、と考えるかもしれない。そしてそのように考えることはできても、我々の、「世界を映像で見ている」というこの感覚を理解することは決してできないに違いない)
ネーゲル曰く「コウモリであることはどのようなことか」を知る術はない。
〇伊藤亜紗「目の見えない人は、世界をどう見ているのか」
見える人が目を瞑ることと、そもそも見えないことはどう違うのか。見える人が目を瞑るのは、単なる視覚情報の遮断。つまり引き算。そこで感じられるのは欠如。しかしいま考えたいのは、「見えてる状態を基準として、そこから視覚情報を引いた状態」ではない。視覚抜きで成立している身体そのものに変身したいのだ。そのような条件が生み出す身体の特徴、見えてくる世界のあり方、その意味を実感したいのです。
〇国分功一郎 「暇と退屈の倫理学」より
人は非常に発達した「環世界間移動能力を有している」
☆動物と人間の違いについて考察したシーンについて
ハイデガー
動物→環世界がある
人間→環世界はない
これに対し同書では、人間にも環世界があると主張。
では人間と動物の違いは、動物は特定の環世界を生きているのに対し、人間は環世界を変えていくことができるのか、、
でも盲導犬は人間に近い環世界を取得していくことによって盲導犬として仕事ができるようになる。
なので、、上記の主張。
環世界は変えていける(異なる環世界へとジャンプすることができる)が、人間は他の動物に比べて、圧倒的に容易に環世界間を行き来できるのではなかろうか、というお話。
〜議論〜
〇『言葉』など外的媒介を通じて共有できる部分については理解可能(“理解”とは理でもって解する)
〇表面的には理解していけるが、その人の奥底まで深掘りしていくと、いずれ理解できなくなる
→またそこはあえて理解する必要はない
〇理解はできるが共感はできない部分もある
〇全て他者の環世界を理解できるのはもはやニュータイプ
→カミーユみたいに廃人になってしまう…?
→人はある程度までしか相互理解できないから自分を保っていられるのでは??
〇他者を理解することは、愛することに通ずるのではなかろうか
→エーリッヒフロム『The art of loving』
etc…
友人関係を例にとって話をしていきましたが、社会の中で関係構築するのは非常に大事なことなので、今回このようなテーマを扱ってみました!
これを機に、興味を持ってより深く考えていただけたら嬉しく思います。
参加してくださった皆様、ありがとうございました。
また、やりましょう!
次回は 12/19(木)「ネゴシエーション」をテーマに『なりきり幕末交渉ゲーム』を実施してまいります。
次回もまた、面白くて学びになる探究の場を提供してまいりますので、お楽しみにッ!